今日または八年前アニメ氷菓最終回を観た人は最新刊「いまさら翼といわれても」を読んでくれ頼む
どうも河童です。
本日、アニメ氷菓最終回が再放送されたので、座して観ました。
このコンテンツは僕の中で三年前に再点火し、同時に米澤穂信のオタクへと昇華してしまったきっかけでもあるので、思い入れが深いのですが
最終回「遠まわりする雛」本当に最悪すぎる
主人公折木奉太郎は、学友、千反田えるに生き雛祭りの傘持ちの代役を頼まれ、千反田家が取り仕切る陣出という村に赴き、千反田えるが後継ぎとして将来背負う物と
「どんなルートを辿っても私はここに戻ってくる」という意思、そして千反田えるに対する好意を知る話で、最終回に申し分のない話だ。
実際「この話が一番好き」という声が多く聞こえて来るし、狂い咲きの桜の演出も映像作品としても最高で、実際僕も好きなエピソードなのだが
最悪なものは最悪である。
ここで登場するのが「いまさら翼といわれても」である
あらすじ
謎解きを通し〈古典部〉メンバーの新たな一面に出会う、シリーズ第6弾。
「ちーちゃんの行きそうなところ、知らない?」夏休み初日、折木奉太郎にかかってきた〈古典部〉部員・伊原摩耶花からの電話。合唱祭の本番を前に、ソロパートを任されている千反田えるが姿を消したと言う。千反田は今、どんな思いでどこにいるのか――会場に駆けつけた奉太郎は推理を開始する。千反田の知られざる苦悩が垣間見える表題作ほか、〈古典部〉メンバーの過去と未来が垣間見える、瑞々しくもビターな全6篇。
角川文庫より引用
深くは言えないがこの話を読んだら最期、遠まわりする雛が、これまでの千反田えるの立ち振る舞いや行動の大半が報われない地獄めいた状況と化してしまうのである。
あえて読まないことで余韻を守るのもいいかもしれないが、「いまさら翼といわれても」が世に出ている以上、これは千反田えるの人生であり、行く末を見届けるべきだと思う、八年前「えるたそ~」とか言ってた奴に言ってるんだぞこれは。
ちなみに「いまさら翼といわれても」は短編集になっており、伊原摩耶花の漫研騒動のその後であったり、折木奉太郎の省エネ主義のルーツが明かされたり、二年生になった古典部メンバーの距離感の変化が垣間見えるエピソードが収録されており、単純におすすめだ。